plena‘s ライフ

コスパ命!のさすらい生活探求家。食レポ、ホテル民泊レポ

東南アジア周遊の思い出1 ケアンズの酔狂な親父w

特に書く事がないので東南アジア周遊の思い出でも。。。

ちょうど6年前私はリュック1つで1人旅に出た。東南アジアを3ヶ月かけて周遊したのだ。

ずーと前からやりたかったバックパッカーもどきの旅。英語のレベルは中1ぐらいで

その時SIMも知らずほぼネットなしで(ホテルでのみ)行き当たりばったりの。。。

で最初は東南アジアではないが成田からジェットスターケアンズに向かい

ケアンズで約10日過ごした。ケアンズ→バリ→マレーシア→タイ→ベトナム→タイ

という日程だった。超危機が3回ほど!でも今思い出すと本当に楽しかった。

また行きたい。周遊してたい。

とりあえずケアンズから語ろうと思う。ジェットスターでちょっといい席を取り、

ケアンズへ向かった。飛行機の中で隣の隣の奥さんが痙攣を起こして、機内で医者呼び出しのアナウンスがあった。安い席のほうから医師が来て、随分倹約家の医師もいるんだなーとその様子も見ていた。奥さんも無事持ち直し、ケアンズに着いた。

ケアンズは早朝だった為、バスが出るまで空港で時間をつぶした。ケアンズ空港は変な空港で私が時間を見ようとタブレットを取り出すと係員が駆けつけてきて、注意をされたが何言ってるのか本当に聞き取れなかった。多分凄い訛りがあるんじゃないか?

いくら中1レベルでも、いつもなら、もう少し聞き取れる。。。

とりあえず時間をみてるだけだと言ったが。。。荷物検査までさせられた。

荷物は着替え2日分と折りたためる洗濯バケツと洗剤。あと置き換え食のプロテイン

充電器ぐらい。その係員はプロテインをかなり怪しんでいた。プロテインだと何度も説明するハメになった。

無事ケアンズに入国し、バスでホテルに向かった。ホテルと言ってもはじめてのドミトリー相部屋 ケアンズのドミトリーはまだマシだったが、私はこの周遊旅でドミトリーに大ストレスを感じた為、2度と泊まらないだろう。バリのドミトリーは10日分のお金を払ったが1日で逃げ出した。1日600円だったから5400円損したが。。。ちょっとあそこは耐えられなかった。それからは普通の安個室。。。

ドミトリーに荷物を預けてケアンズ散策に出かけた。海の方に行ってみたり町を歩きまわって、とにかくケアンズは天気がよく気温もそこまで暑くなく、とても気持ちがよかった。でホテルのチェックインの時間になってチェックインしてドミトリー部屋へ向かった。このドミトリー朝食つきで1日2000円ぐらいだったはず。

ドミトリーは異国の若い女の子ばっかだった。台湾の女の子とちょっと英語でお話しした。中1レベルなので深い話はできないし、あまり長くも喋れない。どこからきたの、どこへいくの、旅の目的は ?ぐらいの。。

とりあえずベッドで休む事にした。いわゆる昼寝をしてもう1回ケアンズ市内繰り出そうと。このベッドが揺れる揺れる。

あまり時系列を覚えてないがケアンズでは、キュランダに行ったり、セスナに乗ったりした。キュランダは行きはロープウェイで行き、ロープウェイからの景色は最高だった。帰りは鉄道で帰ってきた。

ロープウェイで変な日本人の親父に凄く話かけられて、60歳定年卒業旅行だと言っていた親父と、はじめ普通に談話していたのが、一緒にキュランダを回ろうという話になって、ダウンタウンでも夜一緒に飲みに行こうという話になり、しかも親父のホテルで飲もうというなんかキモい話になってきたので、キュランダでまいてやった。親父の影に怯えながらもキュランダではコアラをみたり、蝶やオウムをみたりした。ずっと中国の工場で働いていて妻子もいると言っていた。随分酔狂な親父ではあった。この親父。。。後日もケアンズのショッピングモールで出会してしまう。その時も親父のホテルにしつこく誘われるがその時はキッパリとお断りした。

セスナのほうは、怪しい不倫っぽい中年カップルと一緒だった。日本からセスナのパイロットを目指してやってきたという子が運転手で若いのに偉いなーと思ったりした。

その後もショッピングモールをウロウロしたり、町を散歩したり英語の勉強したりして過ごした。楽しい10日間だった。そして次の目的地バリへ。。。

バリは約20日間の滞在。。。続く。。。